ホーム > 東京23区のごみ処理を知ろう! > もし清掃工場がなかったら・・・? > コレラの流行に学んだ公衆衛生
ここから本文です。
伝染病の流行とごみ問題
川河や堀へのごみ投棄などを禁止した「違式註違新例五十五個条図解」東京都江戸東京博物館
現代においては、コレラは海外からの帰国者が発病するケースがあるにとどまっていますが、幕末の頃、外国との交流をきっかけに日本中でコレラが大流行し多くの死者を出しました。その死者数は日清戦争、日露戦争の戦死者数をはるかに超えたと言われています。コレラの流行は、衛生的なごみ処理を進めるきっかけとなりました。明治33年には汚物掃除法が施行され、清掃事業の運営が民間事業から自治体に移り、なるべく焼却処理することが明記されました。その後、昭和5年になると、焼却処理が自治体の責務として明記されます。
ごみを野外で焼却していた明治43年頃、立ち上る煙が近隣住民を悩ませました。
コレラ流行当時は生ごみを焼却していなかったためごみ置き場や埋立地で腐敗が進み、ばい菌や害虫が発生し伝染病の流行につながることがありました。現在は、生ごみは可燃ごみとして各家庭で分別された後、その日のうちに清掃工場に運ばれ焼却されています。人々の衛生的で健康的な生活には、都市のごみ処理を支える清掃工場が欠かせない役割を果たしています。
[総評]
ごみの焼却処理は伝染病予防など衛生的な生活に大きな役割を果たしています