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  • もし清掃工場がなかったら・・・?
  • 衛生問題 コレラの流行に学んだ公衆衛生
  • 害虫問題 「ハエの天国」と呼ばれた夢の島
  • ごみ戦争 ごみ問題で勃発した都市の戦争
  • 環境汚染 ごみ処理と環境負荷の低減
  • 埋立地問題 埋立地の寿命はあと何年?

もし清掃工場がなかったら・・・?

CHAPTER.02 「ハエの天国」と呼ばれた夢の島

かつてあった東京の危機「夢の島焦土作戦」

生ごみ埋立てにより不安定な土地となった「夢の島」

ハエの発生を防ぐために殺虫剤を散布していた、昭和40年代の埋立処分地

ごみの埋立地といえば「夢の島」を連想する人は多いのではないでしょうか。夢の島が日本全国に広く知られるようになった理由のひとつにはハエの問題がありました。夢の島では昭和32年(1957)からごみの埋め立てが開始されましたが、当時は清掃工場の建設が追い付かず、ごみを焼却せずにそのまま埋め立てていました。そのため夢の島は生ごみなどが発酵分解を続ける不安定な土地となり、島内では、たびたび発生したガスにより自然発火がありました。また、埋め立てられた大量のごみにより、悪臭や害虫が発生し埋立処分場の周辺住民の生活環境が脅かされていました。

ハエの大群が都内を襲撃!警察、自衛隊も出動

昭和40年7月16日、夢の島で発生したハエが強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域を襲うという事件が起きました。ハエの発生源は、高さ約20メートル幅約270メートルに及ぶ生ごみの断崖でした。都と区による懸命な消毒作業が行われましたが、抜本的な解決にはならず警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行されました。現在では生ごみは清掃工場で焼却処分されているため、害虫や腐敗によるガス発生などは最小限に抑えられています。スポーツ施設や植物園が建ち、緑の島として親しまれている夢の島が、かつては「ハエの天国」と呼ばれていた事実は現代の若者たちにとって想像がつかないでしょう。

夢の島焦土作戦(昭和40年)(写真:東京都環境局、東京都清掃事業百年史)

埋立の様子(写真:東京都環境局、東京都清掃事業百年史)

[総評]

焼却処理は生活環境や埋立地の環境改善につながっている