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  • もし清掃工場がなかったら・・・?
  • 衛生問題 コレラの流行に学んだ公衆衛生
  • 害虫問題 「ハエの天国」と呼ばれた夢の島
  • ごみ戦争 ごみ問題で勃発した都市の戦争
  • 環境汚染 ごみ処理と環境負荷の低減
  • 埋立地問題 埋立地の寿命はあと何年?

もし清掃工場がなかったら・・・?

CHAPTER.03 ごみ問題で勃発した都市の戦争

東京で増え続けた大量のごみと人々との戦い

ごみ戦争の勃発

清掃工場建設反対運動(写真:東京都清掃事業百年史)

日本経済は、昭和30年頃から高度経済成長期に突入します。生活が豊かになるにつれ、東京23区のごみの量も爆発的に増え続けました。しかしその一方で、清掃工場の建設は反対運動などにより進展しない状況が続きました。その結果、大量のごみは、埋立処分場の環境を悪化させるばかりでなく、運搬車両が遠くの埋立処分場まで行き来することによる交通渋滞や、通過地域となる江東区の生活道路を汚し、悪臭問題などを引き起こし住民の生活環境を脅かしていました。当時、杉並区で清掃工場の建設計画に対する反対運動が盛んであったため、江東区では杉並区からのごみ搬入を阻止する事態にまで発展しました。
昭和46年9月、ごみの増大に危機感を強めた都知事は、「迫り来るごみの危機は、都民の生活をおびやかすものである」として、「ごみ戦争」を宣言し、清掃工場と埋立処分場の建設の推進をはじめとした徹底的なごみ対策を行うことを表明しました。ごみ戦争は大量生産、大量消費の時代に生きる人々と大量のごみとの戦いであったといえます。

ごみ戦争後にもたらされた意識の変化

江東区のごみ搬入阻止(写真:東京都清掃事業百年史)

ごみ問題に対する都民の意識は、ごみ戦争宣言以降大きく変わりました。ごみは日常生活にとって大変大きな問題であるという認識を高めることとなり、行政と住民が協力して清掃事業を推進することの大切さが認識されたといえます。また、これ以降に建設された清掃工場は、公害の防止と除去に最大の考慮をはらうとともに、清掃工場周辺の交通対策にも努めてきました。さらに、清掃工場見学会の実施など広報活動を積極的に実施し、地域住民に広く理解を求めながら清掃事業に取り組む姿勢が確立されていきました。

[総評]

ごみ戦争は人々のごみに対する意識を高め、清掃工場の技術向上の発展につながった。